バイオと製薬|エッセイ

1.製薬企業の薬剤開発

医薬品を販売している製薬会社は日本だけでも1,000社以上あるといわれている。 製薬企業には非常に長い歴史を持つ会社が多く、世界で最も古い会社は創立300年以上である。 製薬会社が薬を開発するための基本技術は、有用なリード化合物の発見。その誘導体(周辺化合物)の 化合物ライブラリーの作成。その中からより有用な化合物の探索。動物実験、臨床試験を経た 安全評価である。現在、このようにして開発された薬剤の多くは、生体内の反応や薬剤のターゲット因子が ブラックボックスであることが多い。また、根本的な病原を治療するのではなく、症状を緩和することを目的 とすることも多く、それが治療の妨げに繋がったり、副作用を起こしたりもする。 また患者の個体差にも対応できない。

したがって、各個人の病気の標的となっているタンパク質、DNAやRNAを突き止め、 それをコントロールする物質をデザインすることが出来れば、これらの問題を軽減でき、 薬剤開発の効率化が図れると考えられている。これがゲノム創薬である。

現在、バイオテクノロジーの進歩とともに、がんや糖尿病、高血圧症など多くの病気に、 遺伝子が関連していることが明らかになってきた。ヒトゲノムの中の個人差は0.1%であり、 (一塩基多型 SNIPs という)これが、個体差を生み出している。従って、ゲノム情報から、疾患の原因遺伝子やタンパク質を標的とした化合物を選択し、薬に応用することができれば、低コストで、効果が高く、副作用の少ない医薬品を提供できることが期待されている。

しかし、ヒトのゲノムの情報量は膨大で、価値のある遺伝子を見つけるのは難しく、遺伝子の中には、機能未知なものも多い。また、製薬業界では大型合併が毎年のように報じられ、経営の合理化を進めている現状がある。非常に厳しい業界の荒波の中で、ゲノム創薬は、採算が合わない・リスクが高すぎる などの理由から着手することをためらう会社も多い。ここで、この隙間を埋めるのがバイオベンチャーの仕事である。

2.バイオベンチャーの薬剤開発

バイオ研究は、生物学・農学・医学にわたる幅広い領域で行われている。バイオベンチャーは、バイオ研究を基にして病気の治療や診断の技術を開発する企業である。バイオベンチャーが生み出す医薬品は、生物の基本要素である遺伝子(DNA)や蛋白質を分子レベルで研究する「分子生物学」が基本になっている。分子生物学は比較的新しい学問であり、この学問を基礎とした研究は、世界中がゲノム探索にむけて動き始めた1990年前半から急激に発展した。それとともに分子生物学を基礎としたバイオ医薬品開発も1990年代半ばから徐々に盛んになり、多数のバイオベンチャーが誕生した。

現在、バイオ企業はアメリカに約1,500社、日本には約400社ある。またある程度成功確率を高めた段階で、製薬会社に吸収・合併される例もある。しかし開発リスクが高いため、失敗におわることが多いのも事実。バイオ関連の研究開発には莫大な資金が必要である。そのため、バイオベンチャーは設立当初から多額の投資を受けて急速に研究開発を推進させる必要がある。一日でも早く最先端の医療を病気に苦しむ人々のもとに届けるべく、バイオベンチャーは日々努力を重ねている。

3.ゲノム創薬の成功例 ~Amgen社、EPOGENR (Epoetin alfa)~

Amgen社のEPOGENはゲノム創薬によって開発されたバイオ医薬品の一例である。

エリスロポエチン(Erythropoietin,(EPO))は赤血球産生を調節するホルモンであり、造血組織において赤血球前駆細胞 erythroid progenitor cell 上の受容体に結合し、この細胞の増殖と分化を促進する(体内の赤血球を増加させる)。胎児においては、主に肝臓で産生されるが、成人においては、腎臓で産生される。 これら臓器における低酸素状態が契機となってエリスロポエチンの転写活性が増大する。腎臓機能が低下すると、エリスロポエチンの分泌量が低下し、赤血球の生成が妨げられ、貧血を起こす。

エリスロポエチンのリコンビナントタンパク質であるEPOGEN を体内に注入することで、貧血を改善する薬剤である。がん患者の化学療法によって引き起こされた貧血の治療薬としてFDAに認可されている。

4.製薬会社とバイオベンチャーの役割

製薬会社もバイオベンチャーも、「病に苦しむ患者さんに、いち早く有効で安全な医薬品を届ける」ということを目標にしている点はまったく同じある。しかし、社会的に確立された製薬企業が多数ある上に、さらにバイオベンチャーを起こす必要があるのは、両者の抱える背景に違いがあるからである。現在、バイオ医薬品が少しずつ医療現場に提供され始めてきているが、バイオ医薬品開発の歴史はまだ浅く、一般の医薬品開発と比較するとバイオ医薬品の開発のリスクが高いことから、企業維持のために大きな利益を追求せざるを得ない製薬会社ではなかなか開発の意思決定をし難いのが現状である。

そこで、製薬会社が開発着手に躊躇するような「分子生物学という比較的新しい学問を基盤とした医薬品」をいち早く患者さんや医療現場に届けるために存在するのがバイオベンチャーである。つまりバイオベンチャーは、製薬会社とは違う役割を担いつつ、世界中で病に苦しむ人々を救うという目標に向かって努力しているからこそ、存在価値がある。

5.ベンチャーに投資するのはどんな人?

ベンチャーに投資する主な投資家としては、以下のようなものが挙げられる。

ベンチャーキャピタル(VC)

バイオベンチャー投資額の大部分を占めるのが、VCからの投資である。VCはさまざまなベンチャーのビジネスプランを審査し、外部投資家からの資金をもとに投資する。創業期のベンチャーにおいては経営支援も同時に行うことで株式公開にいたる確率を引き上げ、株式公開時のキャピタルゲインを得ることを目的にしている。

エンジェル

アメリカにはエンジェルとよばれる個人投資家がいて、創業期のベンチャーに投資し事業をサポートします。エンジェルは起業経験のある経営者や、以前起業して利益を上げた人たちなどで、後進の育成のために投資をする。残念ながら、日本ではエンジェル投資は少なく、VCや銀行などの機関投資家がバイオベンチャー投資の大半を占めている。

国・地方公共団体

地域新規産業の創出や、研究開発支援、大学発ベンチャーの推進などを目的としたさまざまな公的助成金が設けられている。これらの助成金を受ける際には、実用化による社会・経済への還元の可能性について審査される。

6.用語説明

ゲノム

ある生物の遺伝的特性全体を規定する遺伝情報の最小単位のこと。ある生物を作るための遺伝子の一組とされることもあるが、遺伝子だけがゲノム情報ではないので、これは不適当である。ヒトゲノム中に予測されたタンパク質を指令する遺伝子の数は22,287個だが(20,000-25,000の間とされる)、全ゲノムの約2%に過ぎない。他に、RNA遺伝子、転写調節領域、複製開始終結領域、テロメア領域などの機能を持つ領域がゲノムには含まれる。

ゲノム創薬

ゲノム情報を活用し、医薬品を論理的・効率的に作り出すことをゲノム創薬と言いう。ゲノムの解読が進むにつれて、数多くの疾患、癌や糖尿病、高血圧などに遺伝子が関連していることが明らかになってきた。ゲノムの解析により、病気の原因や薬物応答の個人差の原因となる遺伝子をみつけ、より効果が高く、副作用の少ない医薬品がゲノム創薬によって作られることが期待される。

分子生物学

分子生物学は生物学の一分野で、生命現象を分子レベル(DNA、RNA、蛋白質などの働き)で理解し、それらがどのように制御されているかを研究することが主な関心となっている。分子生物学は、1953年のJ. ワトソンとF. クリックによるDNA二重らせん構造の発見から始まった比較的新しい学問である。世界中がヒトゲノム解析に向けて突き進み始めた1990年前半からさらに盛んになり、2003年のヒトゲノムの全解読を経て、現在に至るまで飛躍的に進化している学問領域である。

リコンビナントタンパク質

遺伝子組み換えDNA技術(recombinant DNA technology)により作成したタンパク質のこと。DNAを試験管内で自由に改変し、種を異にする任意の細胞に導入して、複製、発現させる技術。ヒトの任意のタンパク質を大腸菌、酵母や昆虫細胞に発現させることが多い。

プラスミドDNA

大腸菌や酵母などに寄生する核外(染色体外)遺伝子。染色体DNAと同時に複製する2本鎖環状DNA分子で、細胞内で世代を通じて安定に子孫に維持伝達されるにもかかわらず、染色体(宿主DNA)とは別個に自律的に増殖(自己複製できる)。ヒトの任意のタンパク質を大腸菌に発現させるためには、試験管内でタンパク質をコードするDNA配列をプラスミドDNAの中に組み込み、大腸菌に寄生させれば、大腸菌が発現してくれる。

ハイスループット・スクリーニング(HTS:high-throughput screening)

アッセイロボットを利用して、創薬資源となる良好なリード化合物を発見し、かつ、不良なリード化合物を早期にふるい落とすための技術。創薬の初期の段階を効率化する上で大変重要な役割を担っている。コンビナトリアル・ケミストリーによって、ある有望化合物のさまざまなリード化合物、また、その周辺化合物が、幾段階もの化学反応や酵素反応を経て、短時間のうちに作られる。それらの大量に作られた化合物の中から、ハイスループット・スクリーニングにより、生物活性のある化合物が選別されます。先端の製薬会社はそれぞれ自社で、数十万から数百万の化合物ライブラリーを持っている。そのなかからリード化合物を見つけるのに、このハイスループットスクリーニングは欠かせない。

また、医薬品候補の化合物群から薬として最適な化合物を抽出する場合、薬物動態がよく、毒性の低いものを選んでいく必要があるが、それもこの手法により、迅速に行えるようになっている。今や、化合物を1つ1つ段階を追って人の手で検証していく時代ではなくなっている。

コンビナトリアル・ケミストリー(コンビケム)

大量多様な新規化合物をロボットアームによって、自動的に高速で合成する技術。「コンビナトリアル合成」と呼ぶ場合もある。コンビナトリアル・ケミストリーは、様々なビルディングブロックを自在に組み合わせ(コンビナトリアル)て、一挙に多様性を持つ化合物群(ライブラリー)を合成する技術で、1990年代に急速に発展・普及した。新薬開発において、ランダムスクリーニングを効率的に行うには大量に化合物を合成する技術は欠かせない。ロボットによる自動化によって、リード化合物の開発期間を大幅に短縮することができるようになった。 従来であれば、化学者は1年間で50~100個のリード化合物しか作れなかったのが、コンビナトリアル・ケミストリーが誕生したおかげで、今では50,000個/年以上の化合物が作れるようになった。

また、リード化合物をもとにして、原子の並び方を少しずつ変えた化合物(周辺化合物)を大量(多種類)に作る際にも、コンビナトリアル・ケミストリーは使われる。最初に発見されたリード化合物が、薬としてある程度有効であっても、その周辺化合物から、さらに効き目も安全性も高いものがみつかるケースも少なくない。たくさんの種類の化合物(周辺化合物)を作れば、それだけ薬の候補を発見できる可能性が広がる。それでも、偶然に頼るリード化合物探索法であることには違いはなく、この作業をさらに短縮するものとして期待されているのが、ゲノム創薬である。